開発エピソード
ヘルスライフプランプロジェクト
ヘルスライフプランプロジェクトは、インターネット上に展開された問診システムであり、自らの健康状態を自ら日常的に把握することにより、家族の健康を意識し、自分の健康を意識しながら悔いのない人生を実現していこうというプロジェクトです。
これは、これまで病院や医療機関が管理していた個人のカルテを、患者自らが管理する発想につながるものであり、近い将来、極めて困難な状況を迎える現在の健康保険制度に対して、市民の側からこれを補完する画期的なプロジェクトです。
当社のヘルスライフプランプロジェクトへの取り組みは、2003年8月の群馬大学医学部医療情報部の酒巻先生からの1本の電話から始まりました。
- 「まだ曖昧な構想段階なのだが、実現したいシステムがある。相談にのってもらいたい」
- 「小回りが利いて一緒に汗を流してくれるソフトハウスが必要だ。」
- 「ちょうど、暑中見舞いが目に入ったので、電話してみた。」
打ち合わせに行くと、それは興味深い内容でした。私たちは、この構想を理解するのに必死でしたが、そのときから、「これは日本の医療を変える画期的なプロジェクトになるかも知れない」と感じていました。
まず仕様の検討に入りました。
毎週のように、先生の研究室にお邪魔し、お話を伺い、それをソフトウェア上に表現していく試行錯誤が続きました。
半年かかって、だんだん形になってきました。「本当に何かやれるかもしれない」と思うようになってきました。協力してくれる先生方も増えてきました。
システムの内容的な検討が繰り替えされ、ようやくヘルスライフプランの初期バージョンが完成しました。そして、まだまだ検討しなければならない課題を残したままではありましたが、データ収集が開始されました。
様々な人に声をかけ、ヘルスライフプランを使ってもらってデータを入力してもらいました。
ヘルスライフプランの科学的学問的妥当性を検証するためにはデータ集めが重要であったため、コンピュータシステムからではなく、紙に印刷した問診表に答えてもらう方法も取られました。
そうした中で、かつてから地域で健康状態のアンケート調査をおこなってきた人たちもこのプロジェクトの参加してくれ、地域の方々と一緒になって予防医学研究会も行われるようになり、プロジェクトも発展してきました。
しかし、財政的には困難でした。当社のヘルスライフプランプロジェクトは、赤字覚悟のプロジェクトでした。
こうした中で、当初参加していた業者の方々の中には、撤退されるところもありました。
一方でプロジェクトが少しずつ地道な発展をしてはいるが、他方で財政的には困難な状況が継続するなかで、酒巻先生は、「ヘルスライフプランプロジェクトを成功させるには、継続してこれを続ける覚悟が必要だ」と語り、参加していた人たちを励ましました。
財政的な問題を抜本的に解決し、ヘルスライフプランプロジェクトの推進母体をつくるため、組織を改組し、LLPを設立しました。
当社もそれに組織的に参加しました。
また様々な人の協力を得て、ヘルスライフプランの多言語版も開発しました。これで外国の人も使えるようになりました。
2006年9月現在、様々な人か注目するようになってきました。
- 病院
- 自治体
- 保険組合
- 製薬会社
- 企業
- Web運営会社
ヘルスライフプランプロジェクトは、ソフト会社としての当社にとっては、一つの受注プロジェクトではありますが、単なる受注プロジェクトの意味合いを越えて、地域の様々な人たちと協力して作り上げてきたかけがえのないプロジェクトになっています。
今回ご紹介したNPO法人地域診療情報連携協議会様HP
「けんこうサロンなでぃ」のページはこちら>>
ヘルスライフプランプロジェクトに限らず当社のソフト開発プロジェクトは、その多くがこうした性格を有しています。
お客さまと一緒に、知恵を出し合い、力を出し合い、協力して作り上げていくのが、当社のプロジェクトの重要な特長となっています。
- 制御系システムの開発
- 運輸系システムの開発
- 旅行業のシステムの開発
- ・・・
詳しくは開発実績をご覧ください。
(2006/09/06)